パラダイス・シンドローム

★ 旅行記ではありませんが、自戒の意味も込めて書いています ★

US FrontLine掲載記事「駐在員のパラダイス・シンドローム」を1999年のニューヨーク出張中に読みました。US FontLine紙は、在米日本人向けのフリー・ペーパーです。日本食レストラン、日本食品店などで手に入ります。

当時の私は、日本で作ったソフトウェアを現地導入するために、計3ヶ月くらい滞在をしていました。そんな時、記事の後半にある、

「もうすぐ日本に帰るという意識が常に頭のどこかにある」

「会社が十分な金銭的援助と一緒に与えてくれた一時的な恵まれた生活を利用しない手がどこにあろうか」

という言葉を読んで、ドキッとしました。まさに、自分の当時の考え方がそのまま、そこに書かれていたからです。確かに、出張中は楽しかったですよ。毎日$50の手当が給料とは別に出ていたし、往復の飛行機は全日空のビジネス・クラスだったし、出張組の仲間と飲んだり食べたり遊んだり、ベーグル食べ歩きしてニューヨークを満喫したり、週末はマンハッタンをうろうろ散歩したり、MOMAにもMETにも行って、Matrixを観てStarWars Episode 1を3回観て、ティファニーでも買い物しましたよ、そりゃ。滅多に無い長期出張だもの、しかも海外だもの、楽しまなくちゃ!

でも、今になって読み返してみると、

「ローカル社員との関係は、あくまでもビジネス・オンリー」

という言葉に引っかかります。そういえば、現地採用のアメリカ人とは付き合いがありませんでした。食事をしたり、一緒に遊んだりするのは、いつも出張組の日本人だけ。出張組との会話の中で、現地採用のアメリカ人と遊んだとか、食事したとかいう言葉を聞いたことがありません。まあ、お客さんが日系企業で先方の担当者も日本人だったし、 作業していく中で、英語は不要でした。業務上、現地採用のアメリカ人との接点がほとんど無かったことも、原因かもしれません。今になって考えてみると、ずっと生活していくわけではないので、ローカルとのお付き合いに必要性を感じていなかったのだと思います。生活するのならば、ゴミの出し方などの現地のルール、買い物に必要な安い店の情報、医療や保険のことなど、身近な生活の話題が必要だったはずです。

ベースは日本にあって、ここは一時的な作業場所という思いはありました。かつ、異国の街で浮かれて、半分遊び気分(ちゃんと仕事はしましたけどね)の毎日。帰国してからの数年間、ニューヨーク行きたい病になってました。あの楽しい場所に戻りたい・・・・、そんなことばかり考えて、日本での仕事がとてもつまらなく感じていたのも事実です。

移住してしまおうか、と思っていたこともあります。ただ、本当に移住してしまうと、その場所が「現実」になるという事実に気付くまでに、しばらく時間が必要でした。滞在中の楽しさ、刺激の多さが、「隣の芝生は青い」という単純なことに気付くのを遅らせたようです。今、一番行きたい場所を聞かれたら、「ニューヨーク」と答えます。でも、それは旅行先としてのことであって、現実の生活を営む場所ではありません。出張の後も、個人的に何度かニューヨークを訪れています。それは、街からエネルギーをもらうためです。東京と何が違うのか、どう違うのか、うまく説明できませんが、滞在していると「エネルギー」がチャージされていくのを感じます。

行きたくても、なかなか行けない。頑張って貯金して、たまにしか行けない。そんな程度の頻度に留めておいた方が、訪問時の感動が薄らぐこと無く、楽しい旅行となるのかもしれない。最近は、そういう風に考えています。

Updated: 2008年6月26日 — 2:35 AM

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